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08/7/7 北海道視察で出会った花

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 2008.7.7


08/6/29 イモには大きいのも小さいのもある

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 2008.6.29

県内を車で走っているとよく「産直野菜」の店がある。私は見つけるとついつい入って買ってしまう。「産直好き」である。先日はお団子くらいの大きさのジャガイモを20コばかり詰めた袋を百円で買ってきた。さっそく皮付きのまま甘辛く炒め煮にして食べた。台所でつまみ食いするときが一番おいしい。ところで、恥ずかしながら若い頃は小さいイモをそういう種類だと思っていた。産直運動に関わるようになって、芋掘りをしたとき、一つのイモヅルに大きいのも小さいのも一緒についてきて、ああそういうことだったのかと知った。小さいイモはスーパーの店頭にはめったに並ばない。トマトもきゅうりもイチゴも粒ぞろいのものだけが並ぶ。産直の店などでは規格外の作物が安く買えるのだ。そこでとれたものをそこで味わう地産地消は、遠くへ運ばないから「新鮮」だし、過剰な保護材もいらない。恵まれた「とかいなか」の栃木県。エコな産直野菜をもっと食べたいものだ。作ってくれる農家に感謝しながら。


08/6/17 涙なしに読めない記事

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 今日、17日付け「しんぶん赤旗」のくらし・家庭欄「いまもつづく三池炭坑大事故禍 被災者たちの44年①」を読んだ。44年前の三池炭坑炭塵爆発事故のことが書かれている。44年前といえば私は小学校5年生。東京オリンピックの前の年だ。当時暮らしていた大阪では、盆踊りの定番は「炭坑節」と決まっていた。「つきが~でたでた、つきが~でたぁ、ヨイヨイ、みいけたんこ~お~の~うえにでた~」という歌詞をいまも覚えている。その頃は三池炭坑で何が起きたのか知るよしもなく踊っていた。21歳の若さで事故に遭い、重症のCO中毒になったある男性は、一ヶ月間昏睡を続け、目覚めたときは赤子のようになっていた。その後44年間寝たきりでこの春亡くなったという。この男性を取材した筆者の目を通して、事故の悲惨さが伝わってきた。一人息子を介護し続けた母親はすでに30年前になくなったそうだ。私にも20歳の息子がいる。どんな思いでお母さんは介護し、そして先立って行かれたのだろうか。涙で記事がぼやけた。いまも後遺症障害で苦しんでいる患者さんがたくさんおられるという。その当時のことを知らない世代として、しっかり読まなければならないと思う。


08/6/16 地震の恐ろしさ痛感

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◆2008.6.15       岩手・宮城内陸地震が起きた朝、娘が「お母さん、地震だって」と大声をあげたとたん、ゆらゆらと揺れ始めました。その後の報道にテレビの画面に釘付けになりました。大規模な山の崩落に息をのみ、「どうかあの下に人がいないように」と祈りました。折しも2日前、栃木県防災館を視察し、「震度7」の激震を模擬体験したばかり。地震被害はいつ起きるかわからないからこそ、日常の備えが大切だと改めて認識しました。被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。




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