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プロフィール

 

◆野村せつ子の経歴

1953年 大阪市に生まれる。
1972年 母の郷里、宇都宮市に転居。
1975年 武蔵野美術大学別科実技専修科修了
1978年 日本共産党に入党。
1979年 日本民主青年同盟栃木県委員会常任委員、原水爆禁止栃木県協議会常任理事など歴任。
1982年 新日本婦人の会栃木県本部常任委員
1985年 栃木県民生協(現とちぎコープ)にパートタイマーとして勤務、同労働組合執行副委員長、パート部会長など歴任。
1988年 新日本婦人の会宇都宮支部事務局長
1992年 参議院選挙栃木選挙区に立候補。95年、96年(補選)、98年、2001年、2004年の参院選挙に立候補、落選。2000年、05年衆議院選挙の比例区、栃木1区に立候補、落選。

2007年

2011年

2012年

2014年

栃木県議会議員選挙(宇都宮市・上三川町区)で当選。

栃木県議会議員選挙(宇都宮市・上三川町区)で落選。

栃木県知事選挙に立候補、落選。

衆院栃木1区から立候補、落選。

 

2015年

 

2025年 

 

栃木県議会議員選挙で再選を果たす。

現在、4期目。日本共産党栃木県委員会副委員長、原発をなくす栃木県連絡会(略称 原発ゼロ栃木の会)運営委員、栃木県地方議会女性議員連盟監査

 

  ◆野村せつ子の歩み
〈大阪から宇都宮へ〉
1953年、大阪市で誕生。節分に生まれたので「節子」です。父母と姉の四人家族で、父は会社を経営していましたが、小学6年生のとき倒産、私が中学二年の時にガンで他界しました。父が倒れるとまもなく地主から借地の明け渡しを求められ、母は悲しみにくれるいとまもなく裁判を闘い、看護士として働きながら私を育ててくれました。母がときおり「女だと思って馬鹿にして…」とつぶやいていた姿が忘れられません。19歳のとき、母の郷里、宇都宮に転居しました。
〈私と日本共産党〉
絵描きになりたくて東京の美大に進学、そこで日本共産党に出会いました。党員だった先輩に「働きながら絵を描いて、そのうえ結婚や出産は無理だと思う」と話すと「家庭をもつのも、やりがいのある仕事をするのも、どちらも人間として当然の願いよ。女性にどちらかの選択を迫るような社会を変えよう」と言われたのです。目からウロコがおちる思いでした。そして、日本共産党が戦前から男女平等や国民主権、戦争反対を貫いてきたことを知り、私の願いを生かす道はここだと思いました。「あきらめるのではなく社会を変える」いまも私の胸にともりつづける言葉です。1978年6月、日本共産党に入党しました。
〈ライフワークは「平和」〉
20代は青年運動や原水爆禁止運動に夢中でとりくみました。1979年、広島で開かれた原水爆禁止世界大会にはじめて参加し、原爆のむごさに衝撃をうけた日のことは忘れられません。核兵器のない世界を子どもたちに残したい。戦争と核兵器のない日がくるまで、平和運動は私のライフワークです。
〈私と女性運動〉
28歳で結婚、2児の母に。女性運動にかかわりながらパートタイマーとして働いていた生協で労働組合運動にも参加、パート部会長として地位向上、雇用確保のために取り組みました。長男出産後、新日本婦人の会宇都宮支部事務局長に就任。コメ輸入自由化反対や農家と連携して低農薬の産直野菜を購入する産直運動、ひとりぼっちのお母さんをなくす母親運動を推進しました。二人の子どもはゼロ歳から保育園育ち。保育園のありがたさ、大切さを実感しました。女性の願い、くらしの声を大切に…政治家としての原点が培われた時期でした。
〈国政選挙への挑戦〉
1992年、参議院栃木選挙区から立候補したのを皮切りに、参議院選挙に6回、衆議院選挙に2回挑戦しました。この間、栃木県内をくまなく歩き、たくさんの事件や問題にとりくみました。鍋山産廃問題、那須水害、大谷採石場跡の陥没・爆発事故、ブリヂストン工場火災、信金・信組破綻、富士通リストラ問題、足利銀行破綻・一時国有化…日本共産党国会議員団や党地方議員と連携して、調査や関係機関への働きかけを精力的に行いました。
〈県議初当選、そして落選〉
2007年4月、一斉地方選挙県議選宇都宮市・上三川町区に立候補し当選。斎藤洋三元県議以来空白だった共産党県議席が復活し、議会は討論がよみがえり活性化しました。県民の目線で「しっかり発言、きちんと報告」をモットーに4年間つとめました。東日本大震災直後の 2011年の改選で落選、党専従の仕事に復帰しました。大震災と福島第1原発事故から県民生活を守り、原発のない日本の実現のために議会の外から奮闘。12年11月の栃木県知事選挙、14年12月の衆院選挙栃木1区にも挑戦しました。                                                          〈再び県議会へ、現在4期目〉                                                      2015年のいっせい地方選挙で県議席奪還。トップ当選という思いも寄らない結果に驚きつつ責任の大きさを感じました。その後2019年、2023年にも再選を果たし、現在4期目になりました。コロナ禍、物価高と暮らしが悪化する一方で、国政では自民党・公明党政権が衆・参で過半数割れする事態に追い込まれました。国言いなりでは暮らしも営業も成り立ちません。戦争する国づくりストップ、憲法九条を守り抜き、「何よりいのち、くらし、平和」の県政をめざして奮闘中。 

◆好きな言葉
いのちをうみだす母親は、いのちを育ていのちを守ることをのぞみます。 (母親運動の合言葉)

◆好きな食べ物
コーヒー、お好み焼き、アイスクリーム

◆趣味
絵手紙、音楽鑑賞。温泉と花、猫が好き

◆家族
夫 

写真=政治活動にデビューした頃のスナップ。

 

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