〒321-0167
栃木県宇都宮市東浦町21-12
日本共産党栃木県委員会内
TEL 028-658-4302
FAX 028-658-4374

プロフィール

 

◆野村せつ子の経歴

1953年 大阪市に生まれる。
1972年 母の郷里、宇都宮市に転居。
1975年 武蔵野美術大学別科実技専修科卒
1978年 日本共産党に入党。
1979年 日本民主青年同盟栃木県委員会常任委員、原水爆禁止栃木県協議会常任理事など歴任。
1982年 新日本婦人の会栃木県本部常任委員
1985年 栃木県民生協(現とちぎコープ)にパートタイマーとして勤務、同労働組合執行副委員長、パート部会長など歴任。
1988年 新日本婦人の会宇都宮支部事務局長
1992年 参議院選挙栃木選挙区に立候補。95年、96年(補選)、98年、2001年、2004年の参院選挙に立候補、落選。2000年、05年衆議院選挙の比例区、栃木1区に立候補、落選。

2007年

2011年

2012年

2013年

栃木県議会議員選挙(宇都宮市・上三川町区)で当選。1期

栃木県議会議員選挙(宇都宮市・上三川町区)で落選。

11月、栃木県知事選挙に立候補、落選。

現在、日本共産党栃木県委員会副委員長
原発をなくす栃木県連絡会(略称 原発ゼロ栃木の会)運営委員   原水爆禁止栃木県協議会常任理事                    栃木県地方議会女性議員連盟顧問

 

  ◆野村せつ子の歩み
〈大阪から宇都宮へ〉
1953年、大阪市で誕生。節分に生まれたので「節子」と命名。父母と姉の四人家族で、父は愛知県生まれの東京育ち、母は栃木県人。いろんな方言が行き交う生活でした。父は会社を経営していましたが、資金繰りに行き詰まり倒産、ガンをわずらって私が中学二年の時に他界しました。父が倒れるとまもなく地主から借地の明け渡しを求められ、母は悲しみにくれるいとまもなく裁判を闘い、看護婦として働きながら私たちを育ててくれました。母がときおり「女だと思って馬鹿にして…」とつぶやいていた姿が忘れられません。19歳のとき、大学進学と同時に母の郷里、宇都宮に転居しました。
〈私と日本共産党〉
絵描きになりたくて武蔵野美大に進学。働きながらコツコツと絵を書いていきたいと思っていたので、結婚や出産はとても無理だと考えていました。先輩にそう話すと「家庭をもつのも、やりがいのある仕事をするのも、どちらも人間として当然の願いよ。女性にどちらかの選択を迫るような今の社会を変えよう」と言われたのです。目からウロコがおちる思いでした。先輩は日本共産党員でした。そして、日本共産党が戦前から男女平等や国民主権、戦争反対をかかげてきたことを知り、驚きました。人間らしく生きられる社会へ、私の願いを生かす道はここしかないと思いました。「あきらめるのではなく社会を変える」いまも私の胸にともりつづける言葉です。日本共産党との出会いから5年をへて1978年6月、日本共産党に入党しました。
〈ライフワークは「平和」〉
20代は青年運動や原水爆禁止運動に夢中でとりくみました。1979年、広島で開かれた原水爆禁止世界大会にはじめて参加し、原爆のむごさに衝撃をうけた日のことは忘れられません。核兵器のない世界を子どもたちに残したい。戦争と核兵器のない日がくるまで、平和運動は私のライフワークです。
〈私と女性運動〉
28歳で結婚、2児の母に。新日本婦人の会に入り、核戦争から母と子を守る運動、乳児医療費の無料化運動などに参加。パートタイマーとして働いていたとちぎコープで労働組合運動にも参加、パートタイマーの地位向上に取り組みました。長男誕生後、新日本婦人の会宇都宮支部事務局長に就任。コメ輸入自由化反対や無農薬野菜の産直運動にとりくみ、ひとりぼっちのお母さんをなくす子育て小組を推進しました。二人の子どもはゼロ歳から保育園育ち。保育園のありがたさ、大切さを実感しました。女性の願い、くらしの声を大切に…政治家としての原点が培われた時期でした。
〈国政選挙への挑戦〉
1992年、日本共産党から要請をうけ参議院栃木選挙区から立候補したのを皮切りに、参議院選挙に6回、衆議院選挙に2回挑戦しました。足掛け15年の国政候補者活動は家族やまわりの人たちの支えがあったればこそです。この間、栃木県内をくまなく歩き、たくさんの事件や問題にとりくみました。鍋山産廃問題、那須水害、大谷採石場跡の陥没・爆発事故、ブリヂストン工場火災、信金・信組破綻、富士通リストラ問題、足利銀行破綻・一時国有化…日本共産党の塩川鉄也衆院議員、大門実紀史参議院議員など国会議員団や党地方議員と連携し、調査や関係機関への働きかけを行いました。
〈日本共産党県議として〉
2007年4月、斉藤洋三元県議の後継者として県議選宇都宮市・上三川町区で当選。唯一の野党として県民の声を代弁、議会は討論がよみがえり活性化しました。県民の目線で「しっかり発言、きちんと報告」をモットーに4年間つとめました。

〈県民の願い実現のために〉                                                                                     2011年4月、2期目をめざした選挙で落選、党専従の仕事に復帰しました。同年3月の東日本大震災と福島第1原発事故で、栃木県民の暮らしは激変しました。大気や農産物の射線量を気にしながら、体験したことのない原発事故とむきあう日々。原発のない日本の実現、切実さを増す県民要求の実現をめざして、議会の外から奮闘中。

 

◆好きな言葉
いのちをうみだす母親は、いのちを育ていのちを守ることをのぞみます。 (母親運動の合言葉)

◆好きな食べ物
コーヒー、お好み焼き、アスパラガス、アイスクリーム

◆趣味
絵手紙、ガーデニング、温泉と益子焼が好き

◆家族
夫と猫。宇都宮市さつき一丁目在住
 

 

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