◆せつ子レポート 2013年9月26日
「福島原発被災地を訪ねて」
9月26日、宇都宮市で活動する9条の会や新日本婦人の会のよびかけで「原発被災地ツアー」に参加。二本松で福島県農民運動連合会亀田俊英会長と合流し、バスで飯舘村、南相馬市、浪江町などを視察しました。
飯館村は人の姿もほとんどなく、所々に除染でできた放射性廃棄物の山が点在していました。一番放射能が高いとされる付近を通過したとき、バスの中で0.78マイクロシーベルトを観測。(他の方の測定器は1マイクロシーベルト超でした。)浪江に向かう街道は除染や営業の車両が行き来するくらいで、街は静まりかえり、両側にならぶ民家は地震で壊れたままでした。
避難区域でも日中は立ち入り規制が緩和され、第一原発から10㌔以内の浪江町請戸まで行くことができました。第1原発1号機が遠くに見える場所に慰霊碑があり、お彼岸の花が手向けられていました。津波で家屋が流された跡地や田んぼにセイタカアワダチソウが生い茂っており、漁船や農機具、がれきが放置されていました。ここでは放射能は0.23マイクロシーベルト。原発の北に位置する地域は低線量のところも点在しているとのこと。
亀田会長は、南相馬市小高地区で被災し、家族が別々に避難生活をして送っているとのこと。そんな状況にありながら私たちを案内して下さったのは、福島の現状を直接見て伝えてほしいからだといいます。「変わり果てた田んぼを見るのは生産者としてつらい。でも現実から目をそらしたら前に進めない。いま私にできることを精一杯やるだけ。今はダメでも何年後かわからないが、いつかコメ作りができるようになるまで、農地を太陽光発電などに活用したいと思ってるんですよ。コメ作りができる日がくることに希望をつなぎたい」と淡々と話される姿に、生産者としての誇りと強さを感じました。農民連の直売所に立ち寄り、線量をはかって出荷しているという丹精込めた農産物をお土産に帰途につきました。
帰りのバスでは「百聞は一見にしかずだ。復興は何も進んでいない」「津波で崩れた家がそのまま残されていて、時間が止まったようだった。この状況を伝えたい」「原発とは共存できない。再稼働なんてとんでもない」など感想を話し合い、交流しました。